【論考】社会のガソリンは「データ」ではなく「人との繋がり」になると思った
この記事は、阪田が設立した任意団体「あるけ」の活動報告です。
データを持ってるだけで天下取れる時代なんて、とっくに過ぎた。
「データは21世紀の石油だ」とか一昔前は言われた。膨大なデータを集めれば何でもできる、儲かる、独占できる——確かにそんなムードがあった。
しかし、もうその幻想を抱えている余裕はない。なぜか? 汎用AI、LLM(大規模言語モデル)が人類のあらゆるテキスト資源を吸い上げ、スゴイ精度で推論してくれるようになったからだ。
別にそこまで珍しくもないデータなら、すでに彼らは学習済み。新たにデータを「持っている」ことだけを売りにするのはもはや難しい。
データはコモディティ化が始まっている。(と思う)
よりどころにできるのは、「他者にはない限定データ」や「超マニアックでニッチな分析」くらい。
だが、それすらも時間の問題で取り込まれるかもしれない。じゃあもう終わりなのか、というとそうじゃない。むしろ今こそ、ヒトが主役になるチャンスじゃないか?
人間の“現場力”が次の勝ち筋
AIは凄い。
だけど生身の人間の悩みや本音まで全自動で拾い上げることはできない。人間が個々の事情や感情をさらけ出すのは簡単じゃないし、リアルな課題やニーズというのはテキスト化されていない“微妙な空気”を汲み取ることで気付くことができる。
- 「相談してみようかな」
- 「雑談の延長でちょっと本音が出ちゃった」
- 「たまたま隣のおばあちゃんと話してたら、超重要な噂を聞いた」
こういう泥くさい一次情報は、やはり「人間と人間の直接対話」と「ファシリテーション」がカギになるんじゃないだろうか。
「ねえ君さ、少子高齢化って本当に自分でやばいと思ってる?興味あるんだ?」と聞いてみたら、「・・・全然興味ないしわかんないですけど大変なんですよね・・・・?」という返答。
「ねえあなたは特産品が知られてないって書いたけど、特産品って知られたほうがいいと思ってるってことかな?どうしてそう思う?」と聞くと、「本当はそんなに興味ないからどっちでもいいんだけど、多分特産品知ってもらったほうがいいのかな?と思って」という。
NPOや自治体、コミュニティが“現場”に入り、筋金入りの伴走をすることで見えてくる世界があるように。フワフワした状態を取り扱える必要があることが価値なんじゃないだろうか。
「データを資産にする」という発想は、GAFA全盛期の教科書みたいな話だ。完全に無くなったりはしないだろう。
ただこれまでペルソナやジャーニーマップなどの「仮説」に必要としていたデータはAIが生成できてしまう。推論も検証も手元でできるようになっていく。
しかもAIは生のデータを読み解くことのハードルが下げてくれるので、価値あるデータほど裾野を広く、オープンに回して多様な人が活用できるようにするほうが良い。
カスタマージャーニーというのは私はどんどん使わなくなってきてて、あのフォーマットにまとめると一見うまく整理できてるように見えるけど、ビジネスのリアリティがごっそり削ぎ落とされて、良いアイデアが湧いてこない感があるんだよな。元の生の調査データ見てた方が色々湧いてくる。
良質なファシリテーションを世の中に産む装置
あるけが注目しているのは、「人間の本音を引き出すファシリテーション」だが、それは上手な人がやるのみならず、対話の場やツールそのものが「良いファシリテーターを再現する装置だったら?」という風に考える。例えばアルケカードゲーム。
- カードゲームという「みんな知っていて」「カードを媒介に話が進行する」デザイン
- ゲームのルールの制約上話せないことも踏み込んで話してしまう
- カード選択履歴や経緯は現場の空気感が詰まっていて、LLMが直接学習してないニッチでフレッシュな「本音情報」が入っている
さらに、ここから出てきたインサイトをオープンソース(OSS)としてNPOや自治体が利用できれば。
そのあとのフォローアップでリアルな面談や対面セッションにつなげて、オンライン×オフラインの良いとこ取りができる。
AIにできないことを、AIの力を借りてやる
例えば地方や過疎地に関わる「移住」「共助」の課題は、まさに数値にならない感情が渦巻いていると思う。無視できないが、掴めもしない。そんな隠れた感情が、地域社会の問題の解決を阻んでいる。
- 本当は故郷を離れたくない高齢者がいる。(でも迷惑をかけたくないから都心に住む提案を受け入れる)
- 一方で、都市に行きたいのに行けない若者がいる。(地元が好きなフリをしてやり過ごす)
- 逆に、地方でノビノビ暮らしたいと思って移住してきたのに、地域コミュニティに溶け込めず苦しんでいる人もいる。(分かり合えているフリをする)
当たり前で、とてもシンプルだが、これらは直接対話や関係性づくりをしないと最適な解決策を提示できない問題だ。
「こうすれば解決ですよ」と提案するが、当事者が「でもなんか違う…」と反応する。そのプロセスを見ずに、本音を知ることはできない。(実際は内容ではなく提案のコミュニケーションに何かわだかまりを感じているかもしれない。)
人の反応や本音を確かめるには、「人が集まっている状況」を生み出せる必要がある。むしろ、それだけが価値なのではないかとも思う。
「行政はつい予算から考えがちですが、大切なのは、人が集まり、挑戦できる環境をつくることです。」
例えば、観光交流施設「秋田犬の里」には年間100万人が訪れています。地域経済に十分な効果をもたらすため、石田市長は「観光客を地元の産業に結びつける仕組みづくり」を進めています。
行政が制度を整え、民間がアイデアを活かせる場を提供することで、持続可能な成長を促していくのです。
OSS時代=コミュニティ時代
LLMというトレンドはデータを「社会的資源」と見なした。
みんなのデータからできたサービスを、みんなで使う。オープンソースやオープンデータは企業や事業者は選択肢としていつでも求められ、判断する必要がある。
web3.の特徴である非中央集権は、最終的に「社会的責任」として実現しそうだ。データを保有すること自体の優位性は消失し、「データを公共のために活用できていること」で存在を許される。そんな世界が来る。(もう既にそうなのかも知れない。)
そんな世界では、「みんな」と繋がれることが資産になると考える。
「誰とつながっているか」
「その繋がりをどう熱量に変えているか」。
「そして、その熱量を活かして社会課題をどう動かすか。」
データを生きた情報に変え、そこに血を通わせ、AIと人間の接点を最大化する——そこにこそ、次の時代の本当の価値が眠っている。
編集後記
記事の担当:なおき
『あなたのプロジェクトも、単に「地域の一次情報を持つ」だけではLLMに吸い取られる可能性が高い。 それをどう活用し、どんな「解釈」や「行動」に変えるかが、今後の差別化ポイントになりそう。』ということをLLMが教えてくれました。